映画『この世界の片隅に』を観て。
この物語の主人公すずは、広島に住む少しドジな女の子。昭和19年のある日突然嫁入りをし、知らない家に嫁ぐことに。日に日に戦場が激しくなっていくなか、すずは大切なものを失いながらも一生懸命に生きる。
『この世界の片隅に』のあらすじはこんな感じ。自分はエンドロールが終わってもしばらく動けませんでした。
ぼくがまず印象に残ったのは、主人公すずの生き方。なにか困難なことがあっても、決してそれに負けることなく、小さな幸せをみつけて生きていく。描写されている時代は戦争の終わり頃。何度も空襲から非難したり、大切な人を戦争で失ったりと、戦争の悲惨な描写もありますが、それ以上にすずとその家族の和やかで朗らかな描写が目立ちます。
配給が少なくなっても、道に生えている植物をとって料理する場面は、この貧しい状況の中工夫して幸せをつかもうとする健気さが感じられます。
この時代の日本人は不幸一色ではなく、貧しい暮らしの中でも互いに寄り添い合って生きていたのだなあと実感。便利で豊かな現代に生きる自分も、すずのようにたくましく生きていこうと思いました。
堀江貴文『ゼロ』を読んで。
大学生になったぼくは今まで、ずっと働きたくなかった。
高校生までは働かなくても許された。勉強さえしていればそれでよかった。
今年4月、大学生になった。コロナウイルスもあって学校に通うこともなく、家に引きこもっていた。
受験から開放され、家で好きな勉強ができ、好きな本を読み、好きなときにご飯を食べる毎日は幸せで、ずっとこんな日々が続けばいいと思っていた。親からバイトを始めるよう言われても、ぼくはコロナを言い訳にずるずる家にひきこもっていた。
ある日、大好きな本を買うため近所のブックオフに行った。210円均一のビジネス書コーナーで一冊の本を買った。それが『ゼロ』だ。
聞いたことあるタイトルの本がこれしかなく、他に興味を引く本もないため、この本を買い、すぐに読んだ。
あっという間だった。堀江貴文さんのイメージがガラリと変わるとともに、ぼくは切実にこう思った。
働きたい。
この本は堀江さんが自らの人生を振り返るとともに、その信条や労働観について書いたものだ。働いて自立することの意味、おカネよりも大切なものなど、堀江さんの働くことに対する姿勢が伺える。
この本をよんで、ぼくは素直に働きたいと思った。ぼくも働いて自立して、成長したいと思った。
さっそくタウンワークで3つのアルバイトに応募した。スーパーと家電量販店と塾講師。家電量販店はすぐ不採用になってしまったが、残りの2つは今の所採用されそうだ。
ぼくはこれからの労働を通して、自分の生をより豊かにしていきたい。
「はたらこう。」
この言葉で締めくくられるこの本に出会ったのは、単なる偶然ではない気がする。
まだ働いたことのない今の自分は「ゼロ」だ。これから一歩一歩、イチを足していこうと思う。
メモの2大名著『ゼロ秒思考』と『メモの魔力』
自分は普段から思いついたことはすぐメモするようにしていて、すぐに思考をアウトプットすることの重要性は『アウトプット大全』でも学びました。
今日はメモの重要性についてもっと深く知りたいと思い、メモの2大名著『ゼロ秒思考(赤羽雄二著)』と『メモの魔力(前田裕二著)』の2冊をざっとよんでみました。
『ゼロ秒思考』の概要
結論から言うと、「1日10回、テーマを決めて1分間メモりまくれ」です。凄くシンプル。「1分間」というのが重要で、自分の思いついたことはどんどん書き出そうということです。このメモのメリットは
- 頭の中が整理される
- 客観的にモノをみれるようになる
- 心のコントロールができるようになる
こと。メモを書く習慣をつけることによって思考力があがります。客観的に、秩序立ててモノを考える能力が身につく。
また自分はもう一つ重要なメリットがあると思います。それは
ストレス発散になること。
自分の感情やもやもやもすべて書き出すことですっきりします。書き出しためもは破って捨ててしまってもいいでしょう。
『メモの魔力』
一方この本のメモのとり方は少しむずかしい。
簡単に言うとこの本のメモ方法は「ファクト・抽象化・転用」の3段階を踏むこと。
日常生活の中での気付きや事実を記し、それを抽象化する。たとえば「ローラさんのモーニングルーティーン動画をみた」「佐藤健のドライブ動画をみた」というファクトから「最近芸能人がYouTubeに進出してきている」と抽象化する。その抽象化からさらに応用する(具体的な行動策)のが「転用」の段階。
このように、書き出したメモをしっかり考えて深くまで落とし込むのがメモ魔の特徴です。正直自分は少しこのやり方はめんどくさいなって思っちゃいます(笑)すべてのメモをこのやり方でやると、メモを取るのにすごく時間がかかりそう。
でも、このくらい深く考えて、抽象化して具体的な行動案まで導き出せると「メモの魔力」が十分発揮されそうです。
自分は、基本的には『ゼロ秒思考』のやり方で、つまり思いつくことをテーマに沿ってたくさん書き出して、必要に応じて抽象化や転用まで落とし込んでいきたいです。
悪法は法か?
僕は経済学部生だが、一般教養として法学の授業もとっている。法は社会を形作っている最も大きな要素の一つであり、法を学べば社会の仕組みがわかると思ったからだ。
今日の授業の課題___「悪法は法か。あなたの考えを述べよ。」
むずかしい。かつてソクラテスは人々の納得できぬ法により死刑を命じられてしまい、弟子たちに牢屋の脱獄をすすめられたが、「悪法も法なり」という言葉を残し毒杯をあおいで死んでしまったと言われている。
ソクラテスは彼なりの「善く生きる」ことのルールに従って毒杯を仰いだのだろう。
ぼくはソクラテスとは違って、「悪法は法ではない」と考える。
悪法の定義だが、抽象的に言うと「社会の秩序を乱し大多数の人々を不幸にする法」のことで、具体的に言うと日本国憲法および基本的人権を侵害する方のことをさす、と私は考える。
ある法律が憲法に反すると裁判所が判断したとき、その法律は却下されるのも頷ける。法の目的は社会秩序をたもち人々を幸福にすることであるから、そのもくてきに反する悪法に従う必要は本来はないはずだ。
結論:自分がソクラテスだったらすぐさま脱獄する。
現代を生き抜く大切な考え方「レジリエンス」
皆さんは「レジリエンス」という言葉を知っていますか?
ぼくは約3ヶ月前センター試験の現代文を受験したときに初めて知りました。
(↑出典です。受験が終わり改めて読むとかなり興味深い。)
レジリエンスとは、自発的治癒力の意味である。「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」などとも訳される____(wikipediaより)
要するに「ダメージを受けても折れない力」のことです。ここで重要なのが「ダメージは受ける」こと。一般的にメンタルが強いひとというのはそもそもダメージを受けない、と解釈されがちです。どんなに大きい地震が起きても微動だにしないイメージ。
例えばSNSで悪口を書かれたとき、メンタルの強い人ならそれを読んでも全く気にしなさそうです。
しかし、実際にそんな人は殆どいません。
人なら誰しもダメージを受けます。これを乗り越えて幸せになるには2つの方法があります。
- ダメージを受けてもすぐに回復する
- そもそもダメージを受けないようにする
2についてはかんたん。SNSの悪口は見なければいい。きらいなひととは付き合わなければいい。
精神科医の樺沢紫苑先生も、
「私はメンタルが強いと言われますが、実は違います。自分に対して否定的なコメントを見ると普通に傷つくので、自著の☆1コメントとかは見ないようにしてます笑。」
といっている。
しかし、すべてのダメージを回避することはできない。嫌いな上司と縁を切ることはできないし、嫌でもアンチコメは目に入ってくる。
そこで重要なのが「レジリエンス」です。レジリエンスはゆとりに似ています。
なにか嫌なことがあっても、「まあいいか」と軽く受け流す。心にゆとりを持つことで幸せになれます。
また、ダメージに対してだけではなく、変化に対応する柔軟性のこともレジリエンスといいます。当たり前ですが、これから急速に時代は変わっていきます。というか今も変わってる。コロナウイルスによる社会の変化は前の記事でも述べました。
コロナウイルス、AI、IoT…「人生100年時代」と言われてますが、ぼくたちはこれから途方も無いほど変化を経験します。その変化に敏感に反応し、柔軟に対応しなくてはならないのです。
センター試験はなくなり、来年から新たに共通テストが導入されます。入試形式の変化だけでなく、9月入学が検討されるなど、教育業界は特に変化が激しくなるでしょう。
去年のセンター現代文作問者がこの文章を選んだ理由がわかった気がします。
学びに対する姿勢が変わる。『アウトプット大全』より。
なんの本を読むか。どれだけ速く、たくさんよむか。英単語の覚え方、世界史の教科書の丸暗記…
僕はこの本を読むまで、インプットのことばかり重視していた。
どれだけの知識をもっているかが重要だと思っていた。
しかし、この本を読んでからその認識がガラリと変わった。
アウトプットの重要性はたくさんある。
-
アウトプットをして初めて世界が変わる
インプットは読んだり聞いたりすること。いわば受動的で自分の中での出来事だ。これに対しアウトプットは話したり書いたり、なにか行動を起こすこと。これにより現実世界が変わる。
-
アウトプットをすれば学びがより記憶に残る。
英単語を覚えるとき、ただ字面を追って読むだけでは記憶に定着しづらい。書いたり、話たりすることによって記憶が定着する。
-
アウトプットをすれば学びの質が変わる。
ただ読書するのと、読後に感想文を書いたり人に本の内容を説明する前提で読むのとは違う。後者のほうがより読書に集中できるし、記憶に残る。
などなど。とにかくアウトプットとインプットはセットで行うべきものだということがわかった。
僕はこの本を読んで、日々の学びがすべて「アウトプット前提」になった。学びの質が深まった。また、単純にアウトプットは楽しいと実感した。今このようにブログを書くことも、友達と話すことも楽しい。
著者樺沢先生は、ノートを取ったり読書感想文をかく際にToDOリストをつくって行動の指針を固めろと言っていたので、ぼくもこれからToDoを書こうと思う。
インプット⇔アウトプットのサイクル。これが基本。
「VSコロナ」から「WITHコロナ」へ。
コロナウイルスはいつ収束するのか。
いま世界中の人々がそう思っている。いつ収束するのかは正直誰にもわからないが、過去の事例から予想を立ててみようと思う。
まず、今までの歴史上どんな疫病がはやってきたのか。
1ペスト
これは14世紀なかばヨーロッパを中心に流行った疫病。ノミやネズミを媒介とし、感染すると肌が黒く変色し数日で死に至る。そのため黒死病とも言われる。
死亡率が60~90%ともいわれておりヨーロッパでは人口が三分の一に減ったそうだ。世界史の授業で初めてこれを習ったとき衝撃を受けたのを覚えている。
この疫病は数年で収束するようなものではなかった。14世紀がピークだが、その後も患者は絶えない。19世紀末北里柴三郎が原因菌を突き止めてもなお、今でも感染者、死亡者がいる。
2スペインかぜ
1918~1920までに世界中で5億人が感染したと言われている。第一次世界大戦と重なったこともあり、各国が感染状況を公表しなかったり戦場での環境が不衛生だったりしてパンデミックとなった。
パンデミックは約二年続いた。この流行を機に世界中で手洗いうがいなどの衛生に対する概念がより普及したらしい。
他にも人類を苦しめた感染症はたくさんある。そのほとんどすべてに言えることだが、
何ヶ月で収束するものではない。
もっとも、何年も続いたから歴史に残った、といえなくもないがパンデミックを起こすほどの規模ですぐに収束した例はみない。
これをふまえて、今のコロナウイルスは当分、少なくとも1年以上は続くと思う。過去の歴史をみいてもそうだし、そもそも世界中で起きているということは特定の季節や気温に弱いということでもない。世界中の感染者が一人残らず同時に直さない限り、この流行は終わらない。
今はコロナウイルスと「戦う」イメージだとおもう。外出自粛やマスク着用でいかにコロナにかからないかをみなが意識するが、そのうちこれらの考えが当たり前になってくる。
人々はコロナを半ば甘受し、どう付き合っていくかを考えるようになるだろう。
ものごとはどんどんオンライン化され、対面でなければ成り立たないテーマパークや飲食店などは倒産を余儀なくされるかもしれない。いや、飲食店はテイクアウトやデリバリーが主流になるだろう。
映画だってオンライン上映になるかもしれない。また、家で楽しめる娯楽、例えばゲームや映画配信サービスなどは今後さらに伸びてゆくだろう。
働き方も何もかもが変わる。あらゆることがよりパーソナライズされる。
ワクチンや治療法が確立されれば、人々は外に出るかもしれない。かかってもすぐ治せるor重症化しないのだから。今のインフルエンザと同じ位置づけだ。
僕はこのコロナウイルスの収束はもはや期待していない。恐れてもいない。これからどう付き合っていこうか、とそのことばかり考えてしまう。
絶対安定の公務員、家でもできるYouTuber、物流関係…
「WITHコロナ」の時代でも生きていける仕事につこう。