今日も大学生感ゼロ。

18歳引きこもり大学生の日常

イマヌエル・カントの自由論。

イマヌエル・カント(1724年 - 1804年)は、プロイセン王国(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。フィヒテシェリング、そしてヘーゲルへと続くドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。

(wikipediaより引用)

 

僕は受験勉強の一環として倫理を学習した時にもカントについて習ったが、重要語句を暗記しただけでその内容についてはあまり知らなかった。

 

『これからの「正義」の話をしよう』の中で、彼の自由論について詳しく述べられていた。すべてをここに書くことは不可能なので、要約すると

 

自由=自律 である。

 

自由=自律 について

カントの言う「自律」とは「自分の決めたルールに従うこと」である。私たちは「自由」と聞くと「何にも縛られず自分の思い通りにふるまえること」のようなイメージをもつかもしれないが、カントに言わせてみればそれは欲望というものに縛られているため不自由だ。

 

例えばお腹がすいたときサイゼリヤで「自由に」メニューを選ぶとする。大好きな辛味チキンとカルボナーラを注文するとき、その行動は食欲や味の好みといった別の要因によってなされている。

このように、自分以外の要因によって動かされている状態のことをカントは「他律」という。外部の要因に縛られているため、それは不自由といえる。

 

「夜寝る前にストレッチをする」「道にごみが落ちていたら拾う」のように、とくにこれといった目的はないが自分のルールとして決めていることをしているときがまさに自律であり、自由なのである。

 

最近「ルーティーン動画」なるものがYouTubeでたくさんみかけるが、ルーティーンという自分のルールに従っている姿はまさに自律であり、自由である。多くの人がこの種の動画を見続けるのは、こんな自由な姿に惹かれたからなのかもしれない。(ちなみにぼくはinlivingさんのルーティーン動画がだいすき)

 

このように他律と自律の違いは行動の動機によって決まる。これは「目的よりも動機が大切」というカントの別の思想につながる話で、動機が自分の外部にない行動が、善い行動なのである。

 

目的や結果を重視する現代においてカントのこの思想は効率主義に疲れた現代人の処方箋となりうる。理由なんてなくていい。自分が善いと思ったことを信じよう